なぜ、若者は死に至ったのか =イントゥ・ザ・ワイルド=

道なき森に楽しみあり 孤独な岸に歓喜あり
誰も邪魔せぬ世界は 深い海と 波の音のそばに
我 人間より自然を愛す -----バイロン卿
1992年、アラスカの荒野で、一人の青年の遺体が発見された。
青年の名は、クリストファー・マッカンドレス。 まだ23歳の若さであった。

これは、実話に基づいた映画である。
1990年夏、アトランタの大学を優秀な成績で卒業した22歳のクリス(エミール・ハーシュ)は、
将来へ期待を寄せる家族から離れ、全ての貯金を寄付し、兼ねてから計画していた壮大な旅に出る。

人生の終着駅・アラスカ(現在)⇔旅の行程(過去)を、巧みに交錯させながら物語は進む。
厳しくも美しい自然を背景に、青年の姿が神々しく映える。


ヘラジカの群れに遭遇した時の、クリスの生無垢な瞳に胸を打たれる。

アラスカまでの道程は、母のように優しい大地だ。

待ち受ける苦難を想像させない穏やかな日々・・・。

その中で印象に残ったのは、リンゴを美味しそうに齧るシーン。(この世の食べ物とは思えないほど美味しそうに!)

「戦場のピアニスト」のE・ブロディが、敵の将校から貰ったジャムを食べるシーンも素晴らしかったが、このシーンも素晴らしい!
アリゾナ→カリフォルニア→サウスダコタへ移動を続ける途中、感動的な出会いと別れを繰り返して行く。



少女・トレーシー(クリステン・スチュワート)との出会いも印象深い。

プラトニックな関係を守ったクリス・・・ ここでも、彼の鋼鉄のような意思を感じる。
女の「優しさ」を知ってしまうと、あらゆることが滞留してしまうのだ。(男にとって、一番危険な事かもしれない)
それにしても、クリステン・スチュワートは魅力的だ。 将来が嘱望される若手女優である。(当時18歳)

一番グッときたのは、あるお爺ちゃんとの出会いと別れ。

孫のような年齢の青年が、遥か年上の大先輩を諭すシーン・・・ 日本では、到底考えられない。


クリスは、出会った人全てに愛された。(お爺ちゃんの泪が、それを強く物語る)
これほどの愛情を持った若者が、なぜ孤独を選んだのか・・・

文明に毒されることなく、「自由に」生きようと決意したクリス。
その全ての行動に「若さ」と「思い込み」を感じたが、彼は、生まれながらのスーパー・トランプ(放浪者)なのだ。
もう、DNAに組み込まれてるとしか言いようが無い。
それほど、彼の生き様・死に様は徹底している。
こういう生き方が出来るだろうか?
こういう“死に方”が出来れば、例え23年の命でも十分満足ではないだろうか?
ソクラテスの言葉に、「ただ生きるな、良く生きよ」というのがある。
「ただ生きる」というのは動物と同じだ。
瞬間・瞬間を生きてこそ、「生きる」ことが実感できるのだ。
クリストファー・マッカンドレスは、それを見事に・・・あまりにも見事に体現している。
一つ疑問に感じたのは、幼少期からのトラウマが、そこまで徹底した行動に走らせるか?という事。
そして、それに付随する「こじつけ」的な流れ(演出)が引っ掛かった。
まぁ、それを言うと、あまりにも個人的な感想になってしまうからやめよう。 人というのは、複雑怪奇だから。
死にに行ったのではなく、帰還するつもりだったのだろうが、「死」が彼の人生の完成形であったような気がしてならない。
「最期の言葉」も含めて・・・
ヘラジカを解体するシーンも、リアリティがあって良かった。

ただ、自然と共存するのは、あまりにも困難だ。 このシーンは、自然の厳しさを思い知らせてくれる。

18キロ減量したエミール・ハーシュ、最高の演技を有難う!

監督は、鬼才・ショーン・ペン。
俳優としてのキャリアはハリウッド随一、映画監督としても一級の腕を持つ。
ジョン・クラカワーのベストセラー・ノンフィクション「荒野へ」に惚れ込み、
映画化権獲得に10年近い歳月を費やし、自ら脚本も手がけている。
その「執念」が、後世に残る傑作を生み出したといっても過言ではないだろう。
必見の秀作です。