人気ブログランキング |

Alles ist vergänglich

カテゴリ:春爛漫・愛媛( 5 )

小京都・大洲  春の南伊予(その5)

私は「大洲」が大好きで、これまで何度も訪れた。
小京都の中で、最も優美な町だと思う。

その大洲のシンボルといえば、木造で完全復元された大洲城。
今回は天守まで行かず、肱川の河川敷から鑑賞。
e0196993_10344765.jpg

この肱川で、夏は鵜飼い、秋は河川敷で月を愛でながら「いも炊き」を食べるのが風流。 良い鮎も獲れます。


数年ほど前から、日本中で城郭ブームが興っている。
その影響もあってか、天守はもとより、櫓や門が復元されているが、大洲城ほど完璧に復元された城は、他に無い。
e0196993_1050870.jpg

以下、司馬遼太郎の「街道をゆく~南伊予・西土佐の道」から抜粋。
「大洲の町は、肱川の白っぽい河原に発達した。
まわりが山で、河原にも島のように小山を残し、かつては赤松の濃いみどりが川の瀬々に滴るようであったらしい。
川はこのあたりになって大きな淵をつくり、その美しさは碧潭としか言いようがなく、その松と碧潭のなかに
童話の中のお城のような大洲城の櫓の白壁が映えていた。
私が昭和30年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき、水と山が造りあげた景観の美しさに息をわすれる思いがした。
『愛媛面影』に、“比志川(註・肱川)の流れを引て、城郭の遠望、殊にめでたし”とあるが、
私も、日本の旧城下町でこれほど美しい一角を持った土地はないと思ったりした」



この日は相当寒かったし(花冷え)、悪天だったので、あまり綺麗に撮れなかったのが残念。
e0196993_10503425.jpg

天守から望む大洲の町は必見。(特に夏が良い)
e0196993_10555582.jpg



大洲といえば、黒川紀章が賞賛した「臥龍山荘」も見所。(この写真は2005年の夏撮影)
e0196993_1135914.jpg

山荘から見える近代的景観(橋や公共施設など)が無くなれば、桂離宮より素晴らしいと思う。



そして、城下町の風情を色濃く残す「おはなはん通り」。
e0196993_1151762.jpg
e0196993_1152856.jpg

e0196993_115406.jpg


e0196993_1155030.jpg

e0196993_11105656.jpg


人の少ない時間に歩いたので、江戸期にタイムスリップしたような感じだった。
e0196993_11111894.jpg

e0196993_11113520.jpg


この通りは、商家と武家屋敷の境界にあり、両者で好対称を見せている。
腰板張りの武家屋敷やなまこ壁の土蔵があり、通りのいたる所に小京都の風情が漂う。
e0196993_11114937.jpg


町家カフェで頂いたコーヒーと和菓子。
e0196993_11124432.jpg





ここから少し行った所にある「内子町」(江戸末期の街並みが大規模保存されてる)もオススメです。(これは、数年前の冬に撮影)
e0196993_1273073.jpg

by bonchi_mas | 2010-04-21 00:00 | 春爛漫・愛媛

続・素晴らしき歴史の町  春の南伊予(その4)

仲之町の片隅で見つけたワンワン。(老犬)  ウインクが決まってる。
e0196993_835052.jpg





さて、司馬遼太郎も幾度か訪ねたという「開明学校」へ。
e0196993_8353571.jpg

明治15年に建てられた白壁塗りの和洋折衷の校舎は、木造二階建瓦葺き。
今だから思えるのかもしれないが、これは、芸術的建造物と言っても過言ではない。



中に入ると、前の日記でも書いた楠本イネ(シーボルトの娘)の写真や・・・
e0196993_840641.jpg


司馬遼太郎が、開明学校に来た時の写真が飾られていた。
e0196993_8404210.jpg


当時の小学教育の教科書、教材が多種にわたって完全保存されているので、興味のある人にとっては感動ものだろう。
e0196993_851438.jpg


教室の保存状態も完璧。 
e0196993_1795125.jpg

司馬遼太郎は、ここに来ると、心が洗われたらしい。
e0196993_1714277.jpg



凝った洋風のアーチ窓から望む風景が、長崎の平戸みたいでエキゾチック。
e0196993_843106.jpg



須田剋太画伯が言ってたように、ここには、京都や奈良より素晴らしい一角がある。
e0196993_8432188.jpg

by bonchi_mas | 2010-04-19 00:00 | 春爛漫・愛媛

素晴らしき歴史の町  春の南伊予(その3)

大事な用事が終わったので、家族と「卯之町」までドライブ。

ここは、国民的作家・司馬遼太郎が激賞した歴史の町で、旧宇和島藩領だった。
e0196993_722722.jpg

ちなみに、司馬遼太郎は、南伊予一帯(宇和島を筆頭に、卯之町、大洲)を最も愛していたそうだ。
(私の縁者が司馬先生と懇意の仲だったので、色々な話を聞いた)

まず、日本の夜明けをリードした蘭学者・高野長英の隠れ家址に行く。
e0196993_7382943.jpg

e0196993_737189.jpg

高野長英は、この地で医業を営んでいた江戸末期の代表的洋学者・二宮敬作を訪ね、ここに滞在した。
「二宮尊徳あるを知って、二宮敬作あるを知らず」と言ったのは、高名な地理学者・志賀重昂である。
2人の巨人が、中央から遠く離れた僻遠の地で交流を温めていたというのは面白い。
(ここに来る前、高野長英は、名君・伊達宗城に招かれ、宇和島城下で暮らしている)


写真では、この町の魅力が全く伝わらないので、司馬遼太郎の著書「街道をゆく~南伊予・西土佐の道」から抜粋。
「100年、200年といった町家が文字どおり櫛比(しっぴ)して、200メートルほどの道路の両側にならんでいる、こういう街並は日本中にないのではないか。
e0196993_7584850.jpg

拙作の『花神』に二宮敬作が出てくる。シーボルトの娘のイネ(伊篤)も出てくる。
「おイネさんが蘭学を学ぶために卯之町の二宮敬作のもとにやってくるのは安政元年ですから、
おイネさんが見た卯之町仲之町といまのこの街並とはさほど変わらないのではないでしょうか」
「シバさん」
須田画伯(須田剋太)が画板を胸に当てて寄ってきた。
「ここは大変なところです。京都だって奈良だってこんな一角がありますか」
目が血走っている。
私は奈良の町屋を思いうかべながら、やはり仲之町以外に遺ってないかもしれない、と思った。
e0196993_87068.jpg

「たとえあっても、ここのように町全体があかるくないですね」
このあかるさは家々に白壁がふんだんにつかわれているということもあるし、道路が広いということもあるかもしれない。
しかしそれにしても卯之町という江戸期の城下町でもない土地によくもこれだけ立派な町屋と町並が形成されたものだと思った。
(宇和島十万石というのは、相当なものであったらしい)と思わざるをえない。
e0196993_8113681.jpg

江戸末期のある時期、蘭学は宇和島といわれたときがあった。
わずか十万石の、それも江戸や上方からはるかに離れた南予という僻遠の地であたらしい学問の花がひらくには、
それなりの経済の裏打ちが必要であったろう。
藩が一冊二十両、三十両という洋書を長崎や江戸で購入させ、早い時期には高野長英、
次いでは村田蔵六(大村益次郎)などの蘭学家を遠くから招聘し、その他、理化学や医学の器械、
器材を購入するなど、新学問の育成というのは大変物入りなものであった。
この藩の財政が農業にのみ依存せず、小藩なりの規模で殖産興業と商品経済に力を入れていたことを
その裏側の実情として見のがすことはできない。
幸いこの卯之町という商人町の仲之町が、江戸末期の商家の家並をのこしている。
この一角に立つだけでも、宇和島藩の当時の実力が想像できるのではないか」

e0196993_8213336.jpg

e0196993_991689.jpg




この旅館は「松屋」。
e0196993_827473.jpg

宿泊した偉人たち・・・  前島密、新渡戸稲造、賀川豊彦(ノーベル賞候補に2回選出)の超ビッグネームには驚いた。
e0196993_8275111.jpg

来館した偉人たち・・・  後藤新平、犬養毅、浜口雄幸(ライオン首相)、尾崎行雄など、超ド級豪華メンバー!
e0196993_8294057.jpg

by bonchi_mas | 2010-04-16 00:00 | 春爛漫・愛媛

最高の魚介類を堪能! 春の南伊予(その2)

宇和島の魚介類は、有名レストランや料亭から、引く手数多である。
東京のレストランだと、ラ・ターブル・ド・ジョエル・ロブション、オテル・ド・ミクニ、ホテル・ニューオータニ等で重宝されているそうだ。
e0196993_349358.jpg

仕事関連で日本各地の様々な魚介類に触れてきたが、どれも質(味)に大差なく(特に、鯛・鱸・平目などの白身魚)、
素材の状態が良ければ、産地はどこでも良いという考えだったが・・・
経験を重ねるごとに、産地によって、魚介の質(味)が違うという事が分かるようになった。
例えば、Y県の某有名イタリアン「A」では、一皿目に必ずワラサが出る。
アセゾネは塩とオリーブオイルだけのシンプルさだが、素材の「今」を知るにはもってこいの料理。
S浜では一年中獲れるワラサだが、獲れた場所が庄内浜の北か南か、季節によって味が複雑に変化するそうだ。
※近海物(特に都市部内湾)の魚介は高値で取引きされているが、オイル臭さがあるので、私は敬遠している。

漁師や業者の腕(素材の取り扱い、輸送法など)が悪ければ、どんな有名な産地の魚介であっても食べたくないし、
ブランド素材(例えば、明石鯛や関アジ・関サバなど)が持て囃される今の状況は、様々な問題を孕んでいる。
だが、“真っ当な産地(流通業者)”は、少ないけど確実に存在する。
(もちろん、質の高い魚介類が獲れる一番の条件は、「海の状態が良い事」です)
「素材の嘘」は、あちこちで蔓延っている。だから、信用出来る産地を知らないといけない。
“本当に良い素材”、“やる気のある生産者(漁師、農家、業者)”に会うと、必然的にモチベーションが上がる。


変な前置きになってしまったが・・・
宇和島は、数少ない「真っ当な魚介の産地」なので、新鮮・最高質の魚介が、心ゆくまで堪能出来る。
(念の為に言っておくが、贔屓の引き倒しではない)
e0196993_353679.jpg


まず、一番食べたかったのが「鯛」。(今が旬の桜鯛!) もちろん、宇和島の綺麗な海域で獲れた天然モノ。
当たり前の話だけど、養殖モノより顔が精悍だし、身体つきもビシッと締まっている。
養殖モノとの明らかな違いは「鰭」。(天然モノは鋭い刃のよう)
e0196993_354325.jpg

宇和島で食べる魚介は、全て漁師のオジサンからの貰い物なので、出自は無問題(笑)。 安心して食べれます。
※最近OPENした大阪期待のレストラン「Unisson des Coeurs」のシェフが、宇和島~八幡浜の鯛に魅せられてるらしい。


母が作ってくれた「鯛そうめん」。  絶品です。
e0196993_3564470.jpg


「鯛めし」。(宇和島で一番有名な郷土料理)  炊き込むタイプではなく、切り身・卵黄・出汁・海苔で頂くタイプのもの。
e0196993_4203154.jpg

料理屋の「鯛めし」も旨いけど、やっぱり自家製が一番。


こちらは、今が旬の「甲イカ」。 写真じゃ伝わらないけど、めっさデカイ!
e0196993_3585352.jpg

でも、オジサンの話によると、これでも小振りな方だそうで・・・

その甲イカを、刺身、焼き物、煮物などにして頂きました。
e0196993_414415.jpg


こちらは、サバ寿司。  愛媛も、対岸の大分(関サバ)と同じサバが獲れる。(岬サバ)
e0196993_425326.jpg

これと、ぬる燗(愛媛の銘酒・雪雀)があれば、何もいりません(笑)。
京都の老舗の物に引けをとらない味わいで、しかも、ずっと安価。


次の日の朝、漁から帰ってきたオジサンが持ってきてくれた平目と桜鯛。(ほんの一部)
e0196993_4252174.jpg

撮ってないけど、甲イカやサゴシ(鰆の幼魚)なども満載だった。
平目はシーズン過ぎたけど、奇跡的に獲れたそうです。 
40センチくらいだったから、都市部の百貨店で買えば八千円くらいかな?

それを、刺身にして・・・
e0196993_4282884.jpg

やっぱ、平目の刺身は恍惚の味わい!

こちらは、サゴシの刺身。
e0196993_4301375.jpg

刺身でも十分美味しかったが、一般的には火入れしたほうがウケが良いかも。(中りが早いので、刺身は貴重)


こちらは、郷土料理「フカ(鮫)の湯ざらし」。
e0196993_4323337.jpg

サッと茹で、酢味噌につけて食べる・・・ 苦手な人多いけど、魚フェチにとっては最高の味わい。


「番外編」。  名店●屋の麺。 
e0196993_4343723.jpg

母と甥っ子(2歳)が大好きな麺料理。 10数年ぶりに食べたけど、相変わらず麺とスープのバランスが秀逸。
丁寧に掃除した良質のトリガラと、甘みの深い野菜で出汁を引いてるのが良く分かる。
ここの店主は商売っ気が無い(?)ので、支店を出す事は未来永劫ないだろうが、何だか勿体ない気もする。
今のレベルを維持するためには、この街だけで、ひっそり味を守るのが良いだろうが・・・


今年初のタケノコ。
e0196993_553188.jpg

乙訓(京都)のタケノコが美味しいという人が多いけど、宇和島のタケノコも評価が高い。



最後にUPするのは、郷土料理「さつま汁」。 ザクザク喰らうには、もってこいの料理。
e0196993_4382722.jpg

焼き魚(今回は岬アジ)と味噌をすり合わせた汁を、麦飯(今回は白米)にぶっかけたもの。
「さつま汁」というのは鹿児島にもあるけど、それは鶏・豚肉・野菜を煮込んだ味噌汁の事で、宇和島のものとは全く別。


他にも食べた料理があるんだけど(ジャコ天とか平目の骨煎餅とか色々)、いちいち写真撮るのが面倒で・・・。
滞在した数日で、2キロほど太ってしまいました。
by bonchi_mas | 2010-04-13 00:00 | 春爛漫・愛媛

海が綺麗だ! 春の南伊予(その1)

3月下旬、大事な用事があって、四国の愛媛(宇和島市)へ・・・。

こちらは、松山から程近い瀬戸内海。 愛媛は、瀬戸内海、豊予海峡、豊後水道、宇和海など、豊饒な海域に恵まれている。
e0196993_1512342.jpg

これまで様々な土地に住んだけど(一番長いのは芦屋)、やっぱり心の底から落ち着けるのは愛媛かも。


私の尊敬する人物に、ドナルド・キーンという偉大な日本文学研究者がいる。
(コロンビア大学名誉教授。文芸評論家。勲等は勲二等。2008年・文化勲章受章)
e0196993_2182374.jpg

交流のあった作家は、三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、石川淳、安部公房など超大物たち。

そのドナルド・キーンが、愛媛の宇和島について、こう語っている。 (名著【碧い眼の太郎冠者】より)
「宇和島は位置として世界有数の美しい町だと思う。
四方に山があって、オーストリアのインズブルックを思わせるが、段々畑になっている宇和島の山の方が綺麗である。
そして海も見える。港はフランスの南部のサン・ジアン・ド・ルースに劣らないで絵のように美しい。
私が市長なら、港べりの家並を鮮かな明るい色で塗らせて、店の看板をフランス語で書かせて、
適当に花とベンチを配置させて、日本の地中海と宣伝する。
それで宇和島駅で降りる画家らしい人たちにベレー帽と桃色のシャツを上げたら、
フランスまで行けない芸術家は宇和島に殺到するだろう。
東京から遠いには違いないが、フランスはもっと遠い。
宇和島から南へ行くならバスだけがある。別に何も異常な景色を期待していなかったが、
バスの窓から見た四国の海岸は見事であった。
海と川、山と平野、綺麗な村と淋しい無人の地----変化極まりない旅であった。
清水に着いたときもう暗かったが、頭はまだ色どられた数々の景色で一杯であった」

e0196993_5141143.jpg



そして、幕末の英国外交官アーネスト・サトウは、宇和島での出来事を、こう記している。
e0196993_3451792.jpg

以下、「一外交官の見た明治維新」より。
「われわれは鹿児島を出発して、翌日の11時に宇和島湾に投錨した。
美しい湾が、ほとんど陸に取り巻かれており、2000フィートまでの高低様々な山に囲まれていた。
町の東側の直ぐ後ろに、鬼ヶ城、すなわち「悪魔の城」として有名な高い峰がそびえて立っている。
---中略---
私は別れを告げて、町へ行った。
町では、「骨董」あさりをしている艦の士官3名に会った。
黒山のような群集が、どこへ行っても私たちのあとからついてきて、衣服にさわったり、
いろいろな質問を発したりしたが、それらの態度は至って丁寧だった。
私は、日本人に対する自分の気持ちが、いよいよあたたかなものになってゆくのを感じた。
---中略---
隠居(伊達宗城)は顔だちのきつい、鼻の大きな、丈の高い人物で、年齢は49。
大名階級の中でも一番の知恵者の一人だと言われていた。
---中略---
隠居が立ち去ってから、この2人の君候の妻子たちが艦へやってきた。
彼女らは少しも私たちを恐れる気色がなく、ヨーロッパの淑女と同じくらいの心安さで、気持ちよく話をした。
---中略---
それから一同は、城外にある御殿、すなわち、藩主の御屋敷へおもむいた。
部屋には、金箔の立派な折りたたみ式の屏風が四方に立てまわしてあった。
部屋の一隅に特に大きな屏風があったが、これは偉大な太閤様(豊臣秀吉)から
自分の祖先が拝領した品であると、藩主が説明した。(※現・重要文化財 約10数億円の鑑定額)
---中略---
見事なごちそうが用意されていた。
料理は一皿ごとに美しく装われていたが、中でも一番趣向をこらしたのは、羽毛がそっくり生えたままの野鴨であった。
その鳥は、泳いでいるとも、また飛んでいるとも思わせるような仕組みになっていて、
ぴんとはね上がった両翼の背の上に、焙った肉の細かく刻んだのがのせてあった。
別の皿には、大きな伊勢海老や、儀式には付きものの大きな鯛の焼き物がついていた。
---中略---
そのとき、人妻や、そうでない女も交じった美しい女の一群、ハレムの美女たちが入ってきたので、話は中断された。
子供たちも、みんな入ってきた。 私は、全部の婦人を相手に酒を飲まなければならなかった。
しまいには、頭がどうにかなりはせぬかと、心配になりだした。
楽器がはこばれた。どんどん酒が出て、親睦と歓楽は大いに増したが、おかげで政治的意見の交換はふっ飛んでしまった。
隠居は歓楽に有頂天になって、もう話をしようとはしなかった。
---中略---
音楽がはじまった。
一座を見まわすと、艦長を送り出して戻ってきたアーガス号の一士官が日本の踊りをやってるのが目についた。
私がホーンパイプを踊ってくれと言うと、彼はさっそくやり出した。
すると、49歳という分別ざかりの前藩主(伊達宗城)が立ち上がって、ふらふらと士官の前へゆき、
袴を両手でたくし上げて、足取りをまねようとした。 この戯れは、2人の家老にまで伝染した。
この2人が前藩主に加わって、3人手を組みながらリール踊り(訳注・スコットランドの舞踏の一種)をやり出した。
---中略---
私は親切に気持ちよく待遇してくれた宇和島の友人たちと別れなければならぬ名残り惜しさで、胸がいっぱいになった」






母に連れて行ってもらったカフェから海を望む。
e0196993_2361636.jpg


やっぱり、宇和島の海は最高に美しい。
e0196993_2363381.jpg


e0196993_236517.jpg



ちなみに、宇和島の桜は、咲くのが日本一早いと言われています。
e0196993_654654.jpg



特急「しおかぜ」の中で聴いてた曲。

by bonchi_mas | 2010-04-12 00:00 | 春爛漫・愛媛