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<   2010年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

東京アンダーグラウンド Vo.4   悲しい色やねん~山谷

日本第二のドヤ街・山谷へ向かう。
Vo.3の延命寺から、徒歩数分の場所にある。

ここは、かの有名な泪橋の交差点。
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どこにでもあるような退屈な風景だけど、山谷が賑わってた頃は、殺伐たる街並みやったんやろなぁ・・・

ほんまに曇天で良かった!    悲しい色やで・・・  
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すぐ近くに説明板がある。
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この辺りに架かってたのかな。
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おおおおおおおおお! 昼間っからオヤジたちが酒を飲みつつTV(競馬中継?)で盛り上がってる!
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この風景だよ、この風景!
・・・・・とか書いてると、ドヤ街をネタ的要素として扱ってるように思われるかもしれない。
だが、そうではない。
大阪の西成(飛田新地周辺の「あい○ん地区や萩之茶屋あたり)を「心の故里」と思ってる私にとって、
こういうドヤ街には並々ならぬ思い入れがある。(良く遊んだし)
もちろん、住んだ事も無いし、無関係と言えば無関係なのだが、こういう場所は絶対に「必要」だと思う。
とにかく、愛を持って見つめていきたいのだ。


山谷は思ったほど汚い街並みではないし(一部は強烈だったが)、ガラも悪くなかった。
正直、拍子抜けの感はある。
日本第一のドヤ街・西成(あい○ん地区)に比べると、大人と子供ほどの差がある。
簡易宿泊所(1泊・2000円ほど)は沢山あったし、やはり独特の空気は流れていた。
しかし、近年は「福祉の街」として生まれ変わったそうだし(何だか胡散臭いけど)、
簡易宿泊所の安さに注目した外国人バックパッカーたちが集い、益々普通の街と化している。
労働者の高齢化も顕著だし・・・時代は変わり、街は死ぬ。
人間のギラギラしたパワーや魂の叫びは、こういう場所から発信されるのだ。
だから、この街の勢いが無くなると、寂しい気がする。





山谷は、歴史的マンガ(アニメ)「あしたのジョー」の舞台である。
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アニメの主題歌を唄った尾藤イサオさんが、「あしたのジョーふるさと祭」のゲストに迎えられるそうだ。
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盛り上がってほしい!
そういえば、「あしたのジョー」って、大人向けのアニメだったよな・・・物凄~く濃い脚本だった。


これは、映画版。 キャスティングがムチャクチャやw
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でも、ヒットしてほしい。 そして、山谷が少しでも賑わいますように・・・



ここから吉原へ向かったのだが、昭和を髣髴とさせる街並みが素晴らしかった。
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スカイツリーと山谷のコラボレーション! Beautiful!!!!!!!!!!
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~このシリーズは続きます~
by bonchi_mas | 2010-11-23 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」

東京アンダーグラウンド Vo.3 回向院&首切り地蔵

次に向かったのは、小塚原回向院。
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この回向院は、小塚原刑場(江戸期~明治初期)で処刑された人を葬っている。
しかし、こういうダークネスな場所まで「史跡」とした荒川区はパンクでカッコいい!!
※刑場は、南千住駅のすぐ西側、常磐線と日比谷線の線路に挟まれる場所にある延命寺内に位置する。


入り口のすぐ脇にある「吉展地蔵尊」。
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※昭和を代表する誘拐事件の一つ「吉展ちゃん事件」。
昭和のドス黒い空気がビシビシ伝わってくる事件である。


もう一度、回向院の回りを見ると・・・タワーマンションが建ってたり、かなり再開発が激しい。
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一昔前は、もっともっと灰色の街だったんだろうなぁ。
入居率低いタワーマンションや大型ショッピングモール建設などは、街の風情をぶち壊すのでやめてほしい。



刑死者の試し切りや、腑分け(解剖)が行われた場所でもある。
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さて、まず最初に目に入った墓は、腕の喜三郎の墓。
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墓というより、一種のモニュメントみたいな感じ。
腕の喜三郎は、江戸時代の侠客。
寛文のころ、野出の喜三郎と称する五人力の侠客が、2尺5、6寸の長脇差で町内を横行していた。
あるとき、けんかで喜三郎は相手をさんざんにいためたが、自分も片腕を落とさんばかりに
斬られたのに自若として帰宅し、片腕が見苦しいからとして子分にのこぎりで切り落とさせたという。
世間はその放胆に舌を巻き、腕の喜三郎と名を改め、その侠勇は四方にとどろいた。
のちに出家して片板と号し、講談や歌舞伎狂言に脚色された。(以上、Wiki参照)


つづいては、「明治の毒婦」と言われた「高橋お伝」の墓。
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強盗殺人の罪で斬首刑に処せられたが、この人の悲惨極まりない人生を知ると、
「毒婦」と呼ばれているのが可哀相になってしまう。

写真を見ると、とても綺麗な人だ。
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その実は賢婦人であったろうし、悪い運命に翻弄された“被害者”だと思えてならない。



私が尊敬する偉人の一人・橋本佐内の墓。
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左内が弱冠15歳(!)の時に記した「啓発録」は、全ての学生が読むべき奇跡の良書。
10歳の時に「三国志」を読破したそうだが、どれだけ天才だったのか・・・。
佐内は、洪庵の適塾(大坂)に学び、西郷隆盛、藤田東湖、梅田雲浜、横井小楠、
佐久間象山などの天才たちと交流した幕末屈指の偉人である。


すぐ傍にあるのは、吉田松陰の墓。
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この墓に、松陰は眠っていない。
最初はココに埋葬されたのだが、弟子の高杉晋作らによって、世田谷区・若林に改葬されている。
松陰の事を語りだすと、止まらなくなるのでやめておく。
とにかく、松陰は熱すぎるので困る(苦笑)。
そりゃ、あれだけ熱く生きてたら、早く死ぬわなぁ・・・。


吉田松陰の墓の前にズラリと規則正しく並んだ墓は、「桜田門外の変」で、大老・井伊直弼を暗殺した十五浪士の墓である。
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いや~ 胸が打ち震えて仕方がなかった。
「桜田門外の変」⇒何十回読んでも興奮してしまう。


ねずみ小僧の墓。
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上の部分が少し欠けているが、金運に恵まれるという事で、色々な人が削って持って帰ってるのだろう(笑)。


他にも興味深い人々の墓が沢山あるので、「墓参ラー」の人には、是非おすすめしたい寺院である。






さて、次は「首切り地蔵」のある延命寺へ・・・・・・・
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つーか、歩道橋の上り口に、こういう看板を設置してるのが凄すぎる!!!!!!


その前に、歩道橋の上から線路を見てみる。
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あ~~~ この感じ、たまらない!
灰色の風景に聳え立つタワーマンション群と、デカダンな線路のコントラスト。
昭和時代の南千住は、めちゃめちゃディープで悲しい色の漂う街だったんだろうなぁ。




これが、延命寺の「首切り地蔵」。
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ここ延命寺は、「史跡・小塚原刑場跡」として有名。
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私的には、死刑執行人の山田浅右衛門を思い出す。
山田浅右衛門とは、江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名。
「首切り浅右衛門」、「人斬り浅右衛門」とも呼ばれた。
映画化してほしいけど、グロ画像満載になるので無理か・・・。
ATG映画が全盛だった頃にでも制作してほしかった!


しかし、この寺の墓域は改装中で、古い写真で見た“おどろおどろしい雰囲気”は、あまり感じられなかった。
(日比谷線や常磐線の車窓から丸見えというのが凄い・・・)

とにかく、ディープで素晴らしかった!
京都、奈良、大阪もディープな場所は沢山あるけど、「刑場跡」というのは初めて。
本当に来て良かったと思う。




と言いつつ、まだまだ続きます(笑)。
by bonchi_mas | 2010-11-21 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」

東京アンダーグラウンドVo.2 円通寺

次に向かったのは円通寺。(荒川区南千住)
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この近代的寺院建築の微妙な感じ・・・(苦笑)
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京都や奈良の寺院建築に慣れ親しんできた者からすれば、こういう建築は虫唾が走るのだが、最近は見慣れてしまった(笑)。
まぁ、こういうのもアリかな、と。


円通寺で見たかったのは、彰義隊に関する遺構。





という事で、出た~~ 「寛永寺黒門」!
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弾痕が生々しい・・・・・・・
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上野戦争の激戦を今に伝える黒門は、維新後に帝室博物館に収蔵されていたが、
明治40年に彰義隊の戦死者を埋葬していた円通寺に下げ渡されたそうだ。
※昭和61年・大規模修理が行われている。




彰義隊士の墓。
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松平太郎の墓。
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あの榎本武揚の女房役として活躍した偉人。
維新後は貿易商や織物業を展開するが、いずれも失敗し、流浪の人生を余儀なくされた。
享年71。


大鳥圭介・追弔碑。
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播磨(兵庫県)赤穂の生まれ。
緒方洪庵の適塾(大坂)に学んだ後、江川太郎左衛門の門人となって兵学を研究。
江川の推薦で幕臣になり、幕軍の洋式訓練を担当、鳥羽伏見の戦いを経て陸軍奉行となる。
その後、榎本武揚、新選組副長・土方歳三などの部隊と合流し、蝦夷地へ。
蝦夷共和国を樹立し、陸軍奉行に着任。
だが、共和国は官軍に追い詰められ、五稜郭に閉じ込められる。
「死のうと思えばいつでも死ねる。今度は一番降参してみてはどうか」と言い放ち、あっさり降参。
入獄後、政府に出仕し、開拓使御用掛、工部省・工部頭、工部大学校校長、学習院長、華族女学校校長などを歴任。
享年80歳。


新門辰五郎の碑があった!
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何で、こんな所に?・・・と思ったが、上野戦争では鉄砲避けの米俵を運搬したそうだ。
山岡鉄舟とも縁が深いし、まぁ、ガチガチの佐幕派だから不思議じゃない。



ちょっと気になった土肥庄次郎之碑。(榎本武揚・書)
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この碑、へし折られたみたい・・・。(そのせいで、墓の周りに柵が設けられたらしい)
右後方にあるのが墓石。

放蕩息子だった為に廃嫡された土肥は、彰義隊では諜報活動を展開。
上野戦争後、吉原遊廓の幇間(ほうかん)松廼舎露八として名を馳せ、明治36年・71歳で没。
「死んだら、うちの菩提寺ではなく、彰義隊の野郎がたくさんいる円通寺に埋めてくれ」というのが遺言だったそうだ。



他にも沢山の墓や碑があったが、まだまだ不勉強で、色々なものを見落としてしまった…。
機会を作って、もっと彰義隊の事を調べ込んでみたいと思う。



さて、ここから非常に興味深い場所へ向かうのだが、その途中で超名店を発見!!
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同行者によると、「並んでないのは珍しい」との事だった。
昼食は他店で済ませてたので入れなかったが・・・  うーーーいつか食べるぞ!
by bonchi_mas | 2010-11-19 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」

東京アンダーグラウンドVo.1 【浄閑寺】

という事で、この時のリベンジを果たしてきた。

この前、中に入れなかった浄閑寺へ。
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寺の前にある三叉路の右側の道路に、山谷掘(水路)があった。
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古地図を観ると、手に取るように解る。
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船に乗せられた遊女の遺体は、この山谷掘を通って浄閑寺まで来たのだ。


これは、門の脇に鎮座する地蔵。
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吉原遊廓「四つ目屋」の遊女・小夜衣を供養する為に建立されたものと伝えられる。
※小夜衣は、妓楼の主人から放火の罪を着せられ、火炙りの刑に処された薄幸の遊女。



バックに聳えるマンションと墓石のコントラストが、何ともいえない雰囲気を醸している。
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この日は曇天という最高の天気。(アングラな場所を回るには曇天が一番良い)



さて、墓地の中へ・・・
「史蹟」となっているところが凄い!関西だったら考えにくい事だ。
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東京の奥深さは、京都や奈良とは別のところにある。めちゃめちゃ面白いww

墓地へ入った所のすぐ右手にあるのは、吉原遊廓・悲劇の花魁「若紫」の墓。
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若紫は、浪花(大阪)出身。本名:勝田のぶ子。
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明治31年、満16歳の時に吉原へ。(10歳になる前に大阪で女衒に買われる)
麗人とも言うべき美しさ&知性に高額の値が付き、名門・角海老楼へ預けられる。
店出しの時に与えられた「若紫」という名は、源氏物語に登場する女主人公の事で、
最高クラスの花魁にだけに与えられる特別な名前だった。
若紫は、遊廓という苦界に身を置きながら、信じ難いほど優しく、辛い態度を一切見せない“張り”があった。
通常、年季が明けるのは10年と言われるが、圧倒的人気を誇る若紫の年季は、僅か5年で明けた。
当然、身請け話もあったが、全て断った。
若紫には恋人がいたのだ。
年季が明ければ、晴れて恋人と一緒になれたのだが・・・
あと5日で年季が明けるという時に、精神を病んだ客に惨殺されてしまう。(享年22)
哀れな死を不憫に思った角海老楼が、わざわざ墓を建てた。
(遊女の為に墓が建てられるのは稀)

このように、「角海老」(角海老楼)の文字が刻まれている。
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因みに、昭和初期までの浄閑寺は手入れが行き届いておらず、土の中から骨が飛び出し、
雨がそぼ降る夕暮れには、鬼火(リンから発生)の飛ぶ事があったらしい。
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こちらは、本庄兄弟の首洗い井戸。(この話も悲惨すぎる)
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そのすぐ傍には、琵琶を弾く女の像があった。
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どんな謂れがあるのだろう?




そして・・・・・ これが、ずっと見たかった「新吉原総霊塔」。
ここに、約2万人の遊女が葬られているそうだ。
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「投げ込み寺」の名の通り、実際に遊女が投げ込まれた事もあったそうだが、
それは、「足抜け」や「心中」など、“吉原の掟”を破った場合のみ。
「人間」として葬ると祟られるので、犬や猫のように扱って畜生道に落とし、
丸裸にした遺体を荒菰に巻いて投げ込んだと言われている。
(関東大震災や東京大空襲で亡くなった遊女たちも投げ込まれた)
それ以外の遊女は、法要を営んで普通に供養してもらったのだろうか?(そうだったら安心だが)
台座には、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」という、有名な句が刻まれている。

台座窓から、遊女たちの骨壷が見える。
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この本は、天才写真家・アラーキー(荒木経惟)と、江戸風俗研究家・漫画家の杉浦日向子が共作した「東京観音」。
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これは、浄閑寺に関する箇所。(読まれたし)
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「子供の頃、供養塔に乗って遊んでたんだもんね。
インディアンごっことかして。
塔の中の、遊女たちの骨が散らばってるところにだって、カギなんかかかってなかったんだよ。
自由に出たり入ったりして、骨投げ合いっこしたりもしてたんだ」(アラーキー)

「それはいいことしましたね、荒木さん。
投げ込み寺のおねえさんたち(遊女)だってうれしかったんじゃないですか。
冷たい地下で、ひっそりさみしく死んでるよりは、少年になぶられてたほうが、華やいで楽しかったと思いますよ」(杉浦日向子)


総霊塔の前にあるのは、文豪・永井荷風の詩碑と筆塚。
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荷風は、遊女の哀しく短い人生に深い感慨を抱き、度々この寺を訪れた。
死んだらここに墓を建てて欲しいとまで言い残した。
さすがに文化勲章者をこのような寺に葬るわけにはいかなかったので、
谷崎潤一郎や森鴎外の長男・於菟らの手により、詩碑と筆塚が建てられた。

「前に撮影のときにここにソープ嬢連れてきて、頬ずりさせたんだよね」(アラーキー)
「それはいい供養でしたねえ。お礼に、あの世から顔出さなきゃね」(杉浦日向子)


荷風は、江戸の残り香を、その鋭敏な臭覚で嗅ぎ取り、類稀なる想像力を用いて市井に投影し、愉悦した。
我々が荷風のように遊ぶ事は絶望的に難しいが、多大なる好奇心と妄想力を以ってすれば、不可能な事ではないと思う。
街の風景が変わるのは早い。
この三ノ輪、その先の山谷(日本第二のドヤ街)、千住、浅草・・・
味わい深い江戸・下町の風景が、理念の無い再開発(区画整理)で破壊されている。
京都や奈良のような都市でさえ、街の景観は守られていない。
東京の下町(江戸・明治・大正・昭和を感じられる場所)だって、刻一刻と失われている。
今のうちに見ておかないと、京都の橋本遊廓址みたいになってしまうだろう。

【誰も楽しみにしてないだろうけど、PART2へ続く】
by bonchi_mas | 2010-11-15 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」

夜の吉原散策&酉の市

念願の吉原&酉の市に行ってきた。

まず、東京最後の路面電車(都電)に乗って、三ノ輪へ。
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映画「三丁目の夕日」みたいな雰囲気。(商店街も凄い)
こんな濃厚なノスタルジー、他都市では味わえないかも。



駅を出てすぐの所にある「浄閑寺」(投込寺)。
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全ての遊里ニストにとって「聖地」の一つであり、
文豪・永井荷風や、アラーキー(荒木経惟)が、深い想いを込めた寺。

花又花酔の狂句「生まれては苦界 死しては浄閑寺」は、あまりにも有名。
そう、ここは、吉原遊廓の遊女たち(遺体)が投げ込まれた寺なのである。


門の脇にあるお地蔵さんは、吉原遊廓「四つ目屋」の遊女・小夜衣のために建立されたものらしく、
身体の悪い箇所を撫でると御利益があるそうだ。
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※小夜衣は、妓楼の主人から放火の罪をかぶせられ、火炙りの刑に処されたらしい。


浄閑寺の過去帳によると、亡くなった遊女たちの平均年齢は、21,7歳(!)だそうだ。

寺の前にある三叉路(写真・右側の道)が、山谷掘(水路)の痕。
吉原の多くの遊女たちが、猪牙舟に乗せられて山谷掘を北上し、この寺まで運ばれてきたのだろう。
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夕方遅く行ったので閉まってたのが残念だったが、在りし日の浄閑寺界隈の空気を肌に感じる事が出来た。
今度来た時は、吉原総霊塔、悲劇の花魁・若紫の墓、荷風の筆塚を見てみたい。


ここから数分行くと、酉の市。(関西で言うところの「えべっさん」)
それにしても、物凄い人出&熱気だった。
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西宮えびす神社の賑わいを髣髴とさせてくれる。
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これが、酉の市に欠かせない縁起物の「熊手」。(えべっさんは「福笹」)
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映画「吉原炎上」に、酉の市のシーンが出てくる。(熊手)
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江戸時代、日本堤の大門以外からは入る事の出来ない遊廓が、酉の市の日は解放された。
お歯黒どぶの刎橋も下ろされ、出入り禁止である一般の女性たちも自由に出入り出来たそうだ。
普段は廓の外に出られない遊女たちも、客の男と連れ立って、酉の市に行く事が出来たという。


場所柄、歌舞伎役者、芸能人、東京都を牛耳る大政治家一族の名があった。
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熊手を買うと、店の従業員たちが「三本締め」をやってくるのが面白い!!
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(ちょっと外れにある熊手屋台に、関東最大のヤクザ組織「稲●会」の名があったのが興味深かった)

可愛い店子もいるぜよ!!
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200軒以上を超える屋台も楽しい。
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焼餅(シャーピン)とか、ケバブサンドなどを食べつつ、酒を飲みながら歩くのが最高だった。
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そして、ここからが本番・・・吉原散策。
旧吉原遊廓・唯一の史跡といえる「見返り柳」。
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遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳の辺りで廓を振り返ったことから、「見返り柳」の名が付いたそうだ。
(この柳は何度も移転してる)


そして、ずっと前から憧れていた(笑)大門に至るS字カーブ!(五十間通りの名残り)
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将軍の御成があった時、土手の通りから、吉原の様子が見えないようにする為のカーブだという説がある。

吉原の大門。
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この古写真・3は、明治末期の大門。(

映画「吉原炎上」に出てきた大門の乙姫。
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明治期の大門は、こんな感じだったのかなぁ・・・・・
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さて、今は日本最大級のソープ街になっていて、大阪の飛田新地や松島新地と比べたら情緒や風情は一切無いが(というか、大阪はソープ禁止だしw)、やっぱり独特の雰囲気はある。
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江戸期から続く大店「角海老」もあるし、何と、「稲本楼」の流れを汲む「ホテル稲本」を発見!
(稲本楼は、伝説の花魁・小稲が有名)
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あと、お歯黒どぶの遺構(土地の高低差)も見れたし・・・とにかく、何度でも来たい場所になった(笑)。
※登楼はしませんがw



ここは、吉原神社。多くの遊女たちの祈りを聞いてきた神社である。
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詳しくはコチラ。
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不定期営業してるという雑貨屋の花魁グッズも気になった。
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ラストは、新吉原花園池(弁天池)跡。
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吉原遊廓の楼主たちから信仰を集めた弁天が祀られているが、
関東大震災の折、ここでは500人近くが溺死した。(遊女もいた)
すぐ近くは酉の市で賑やかなのに、ここだけは異様な空気が流れていてゾクッとした。


もう一度、「吉原炎上」を観たくなった!
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今度は明るい時間に散策してみようと思う。
by bonchi_mas | 2010-11-09 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」