人気ブログランキング |

Alles ist vergänglich

<   2011年 11月 ( 1 )   > この月の画像一覧

「散歩」日本堤から吉原へ +かわいいカフェ

相変わらずネタが山のように溜まってるのに、全く更新出来てない有様・・・
とりあえず、今は「書く気」がUPしてるので、今日行った散歩の事を書こう(笑)。


昼食を終えた後で愛する都電に乗り、大好きな三ノ輪~吉原まで散歩した。

最近になって、また吉原の事を色々調べてる。
e0196993_241156.jpg

前から色んな所で言ってるけど、遊廓・遊里・色街・・・これらの歴史は「臭いものには蓋をしろ!」とばかりに封印されがちだ。
史料があまり残ってないから、どうしても「知りたい!」という欲求が湧いてくる。
昔は、単なる好奇心だったのだが、知っていくうちに、あまり声を大にして言えない悲惨な歴史を知ったり、
当時の女性に対する様々な思いが心中を複雑にしたので、好奇心にストップをかけた部分もあった。
でも、海老名さんと出会い、遊廓から生まれた芸術(特に、照明)を御教示して頂いて感動し、
その感動した心を再び史料へ向けると、今度は「強い心」で遊廓の歴史(深部)と対峙できるようになった。
そうして、歴史上の人物、文人墨客、江戸の人々が、なぜ吉原(遊廓)に没頭したかを、少しだが理解出来るようになった。
(裏側から見る表の歴史が、グーッと視野を広げてくれる)

私は、表舞台の歴史より、裏の歴史のほうが面白いと思っている。
だから、江戸の歴史(市井の人々)に惹かれるし、乞胸や遊女たちに並々ならぬ思い入れがあるのだ。
いかん・・・こうして書いてると、果てしなく続いてしまうww


まず、荒川区の本気度が伺える「荒川ふるさと文化館」へ。
前々から行きたいと思ってたんだけど(気になる文化財があった)、その存在をスッカリ忘れてた。
メインの展示は、今年100周年を迎えた都電荒川線の古写真や資料の特集だったが(素晴らしかった)、
私が強烈に惹かれたのは、やはり荒川区の歴史に関するものだった。
まず、昭和30~40年代の民家や路地を再現した展示物にはド肝を抜かれた。
e0196993_254598.jpg

不忍池畔にある「下町風俗資料館」にも似たようなセットがあるが、こちらも素晴らしい。
古写真で見たことあるような・・・まるで、映画「三丁目の夕日」を髣髴とさせる、濃密なノスタルジー。
ここまでとは言わないが、東京のあちこちに、まだこういう雰囲気の下町が残ってる。
アレックス・カーが、その著書の中で「東京の下町は魅力が無くなった」というような事を言ってたが、そんな事は無い。
アレックス・カーは、東京の一部しか知らないのではないだろうか?

高度成長期の東京という街も、絶対に面白いはずだ。
亡き父から聞いた話(父は東京でヤンチャしてたので)や、雑誌・古写真などでチラッと知ってるが、
これからは、昭和史をもっと学んでいけたらいいなと思う。

火葬寺と御仕置場の展示。(江戸時代、品川の鈴が森と千住の小塚原にあった)
e0196993_312063.jpg

前にこちらに書いたので、興味のある方はどうぞ。

遺骸と共に埋葬されていた(?)土人形。
e0196993_6533260.jpg


これらに関しては、まだまだ調べたいことが沢山ある。
山田浅右衛門、小塚原刑場史、当時の刑場に関する資料や書籍を徹底的に調べてみたい。

そして、浄閑寺といえば、新吉原。 ※浄閑寺に関しては前に書きました。良かったらどうぞ。
e0196993_3213123.jpg

上にも書いたが、表の歴史より、裏の歴史を調べるほうが何倍も難しい。
圧倒的想像力を擁しないと、裏の歴史は楽しめない。(その扱いに注意しなくてはいけないが)



浄閑寺の過去帳。
e0196993_3235894.jpg

やはり、新吉原に関す人々の名が列挙されている。

この他にも、千住大橋や江戸期の街道に関する展示物などがあり、小規模ながらも見応え抜群。
荒川区職員さんたちの、歴史に対する熱意がビシビシ伝わってきて、非常に嬉しかった。
一人だったら、3時間くらいいたかもw



実は、この会館の前には、こんな凄いものがあるのだ。
e0196993_328988.jpg

橋本左内の墓旧套(さや)堂!!!
元は回向院にあったそうだが、荒川区に寄贈され、近年、荒川ふるさと文化館前に復元されたもの。
以下、荒川区HPより抜粋。
「套堂(鞘堂と同意)とは、本体の建物などを保護するために、それを覆うように建てられるものです。
この旧套堂は、昭和8年(1933)に橋本左内の墓を保護するために造られたもので、
伝統的な建築の意匠と近代的工法との折衷を図った、近代仏教建築の例と言われています。
幕末の安政の大獄で刑死した橋本左内(1834から1859)を追慕し、遺徳を広く発揚することを
目的として明治35年に設立された景岳会によって建てられました。
最近ではコンクリート造の仏教建築は珍しくありませんが、その最初期の現存例として、大変貴重なものです」

言うまでも無いが、橋本佐内といえば、「啓発録」で有名な幕末の超偉人。
歴史地理学者のN村T生さんは、やる気が起きない時に、「啓発録」を読むと奮起するそうだ。
因みに、「啓発録」は、左内が15歳の時に書いた“自らを律する為の文”である。

これは、下谷道。
e0196993_3394713.jpg

e0196993_340447.jpg

歴史が好きな人にとっては垂涎ものの「史跡」だが、そうでない人にとっては、何の変哲も無い道路だろう。
歴史好き=好奇心である。 だから、何も感じられない人が不憫だ。


目黄不動ってのも渋いね~ 目黒、目白は名が通ってるけど。
e0196993_3432327.jpg



これが、「日本堤」だったところ。(浅草方面からではなく、三ノ輪方面から撮影)
e0196993_3442265.jpg

敢えて暗めに撮ってみた。その方が雰囲気が出るので・・・  年末の工事で道路がボコボコw
昔、この脇(三ノ輪方面から見て左側)に山谷掘があって、新吉原から遊女の遺骸が舟で運ばれてた。
(この日は山谷掘跡には行かなかった)


江戸期の日本堤。 ※江戸名所百景「よし原日本堤」作:歌川広重・安政4年(1857)
e0196993_3505493.jpg


今や往時の面影は消えうせたが、土地の高低差は少し残ってる。
e0196993_353353.jpg


さて、久々の吉原。
e0196993_3543439.jpg

五十間道(衣紋坂)・・・S字カーブは当時のまま。
このあたりは、浮世絵の版元で超有名な蔦屋重三郎が生まれたところ。
やはり、芸術は遊廓から生まれるのだ。(吉原細見から浮世絵まで、蔦屋重三郎は凄い!)

吉原大門のあたりから、スカイツリーが見える。
e0196993_411985.jpg


e0196993_414838.jpg

この日は、まるで吉原に似つかわしくない大勢の老若男女が資料らしきもの片手に歩いてたのだが、
もしかしたら、史跡巡りの集団だったのかもしれない。
吉原は遊廓跡であり、確かに「史跡」であるのだけれども、今は業態を変えたソープ街だ。
さすがに大勢で「物見遊山」するような所ではないと思う(笑)。
見世(敢えてこう書く)のお兄さん達が、些か困ってたような感じも見受けられた。
少人数で、カメラをパシャパシャ撮らず、サッと仲通りを歩いて吉原神社へ行き、
水戸尻(水道尻)を経て、弁財天(新吉原花園池・弁天池)へ参るのが良いと思う。
e0196993_483694.jpg


吉原弁財天(新吉原花園池・弁天池)に飾られてた新聞記事。
e0196993_492896.jpg

この日、藝大生らしき人が必死に描いてたのだが、めっちゃ羨ましかった!

私自身、江戸期に生まれてたら、幇間(遊廓の太鼓持ち)になってただろうし、
とにかく、何がしか遊廓に関する仕事をやってたと思う(笑)。
それか、近くにあった「八百善」(江戸期、山谷にあった名料亭)で働いてたかも。


しかし、町会長の名が「吉原」ってのも凄い偶然じゃない?
e0196993_413463.jpg


妓楼の名がズラリ・・・壮観だ。
e0196993_4132282.jpg

吉原界隈は、史跡も残ってるし、美味しい店も何軒かある。
とにかく、遊里史・歴史LOVEな人にとっては最高の土地だ。
(山谷も面白いよ!大阪の西成とは一味違った雰囲気があるし)


歩き疲れたので、「cafe michikusa」に入る。
e0196993_4144499.jpg


紅茶、スコーン、パンケーキを頼み、数時間まったりと・・・ 至福!!!
e0196993_4192755.jpg


e0196993_4185834.jpg


e0196993_419966.jpg

今、散歩+カフェってのが、一番癒されるし、面白い。
by bonchi_mas | 2011-11-27 00:00 | Tokyo Drifter 「連載」